レンジも使って時短でそれらしく、おいしくいただける工夫をしています。
おせち料理がダジャレで出来ているというお話です。
個々のレシピはブログにアップしていきます。
おせち料理の意味・由来
先ずは黒豆。しわが寄るまで元気でという事でしわのよった煮豆、黒豆を頂きます。今では、しわはなくふっくらと炊き上げるのが一般的です。
腰が曲がるまで元気でと曲がったエビを用意します。くわいは芽が出るように。
酢ばす(酢れんこん)はレンコンの穴のように見通しよく。
鯛の塩焼きはめでたい。
田作りは豊作であるようにです。
それぞれに来年も良い年でありますようにと祈りがこもっているように思います。
我が家のおせち料理
30年近く、鶏の松風焼き、菊花かぶ、くわいの煮物、酢ばす、栗きんとん、煮物などを2日かけて作ってきました。
紅白のかまぼこ、黒豆、数の子、鯛の塩焼きなど用意できるものを取り合わせて用意します。
それは幼い頃、祖母や母がしていたことです。
ところがある日、お正月も普通のご飯で良いなと言われたのです。
思えば、冷蔵庫のある現代、おせち料理のように保存のきくものではなく普通の食事が簡単に用意できます。
今では、どうしても食べたいというおせち料理だけ作って、お雑煮とともに元日だけいただくことにしています。
明治を知る祖母とおせち料理
明治生まれの祖母と過ごした思い出を書き留めておきたいと思います。
今ではなくなったお正月の準備・年末の台所の思い出です。
箱いっぱいのミカン。そして木製の平たくて大きな箱「もろぶた」。
もろぶたは、お米屋さんから運ばれてくる伸し餅と丸い餅を入れておく、一年に一度しか使わない入れ物です。ググってみましたら、今でも販売されています。
到来物の塩サケは口の部分にわら縄が通されてつるされています。塩サケは今では考えられないほど塩辛く、とくに腹の部分は塩そのものです。
硬い伸し餅を切るのは本当に大変でした。
こんな光景はおそらくたぶん江戸時代ぐらいから、続いてきたものだと思うのです。
いつの頃からか、ミカンはあまり食べることもなく、捨てられます。餅はかびて、水餅にするか干されて、持て余されます。
今では、餅はパックに入ったものがあります。みかんも少量ずつ買うことになりました。おせちだって、買って済ませたほうが経済的かもしれません。
鰹節を削らされたり、雨戸を閉めたりと、子どもに割り与えられた仕事はなくなりました。そして祖母と母が布団を作る光景、夏に父が畳を干したこと、蚊やをつって寝ることもなくなりました。急激にライフスタイルが変わっていきました。
洋服を縫ったりセーターを編む必要もありません。保存食を作る必要も。
そして、祖母はラジオを聞きながら、長唄の練習もしていました。お琴や三味線もしていたようです。娯楽として主婦は音楽も奏でていたのです。
思い出すと主婦の仕事って、子育て、祖父母の介護だけでなく、外で働く夫をいかに家庭で寛がせるのかという総合的なものだったように思います。
お正月の朝、新調した着物で、まずお父さんに挨拶します。
そして、干し柿とミカンを手渡されます。甘いもののない時代、きっと子供たちは喜んだのだと思います。私が子供の頃には嬉しいという気持ちはなく、なんだかわからない儀式でした。
ちょっと、とりとめがなくなってしまいました。
変わるライフスタイル
これからも、生活・ライフスタイルは変わっていきます。
良い習慣は残していきたいと思いながら、ブログを続けていこうと思います。
おせち料理は手づくりせずに買う方が良い気もします。
何品か作ってみるのも良いかもしれません。家族の思い出になりそうですから。
来年は少し早めに準備して、もう何品か、おせち料理のご紹介をしたいと思います。
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